有難うは本当に奥の深い言葉です。
何か物をもらった時、何かをしてもらった時だけに使う言葉だけではありません。
漢字にしてみると…
有ることが難しいと書いて有難う。
当たり前に感じていることであっても、それが当たり前でなくなった時、本当にそう感じますよね。
武漢ウィルスで自粛生活をしている昨今、その当たり前が崩れました。
ゴールデンウィークは過ぎ去りましたが、連休ともなれば帰省したり、遠くにお出かけして楽しむなど、人生経験がまだ少ない子供達にとってはまだ特別なことですが、我々大人からすると、当たり前という認識ではないにしろ、何も特別なことではないわけです。
ところが、自粛という名のもとに、外出を控え家で過ごすことが多かった先のGWでは、苦痛を感じた人も少なくはなかったかと思います。
次元が違いすぎますが、地球が止まってしまったら、空気が無くなってしまったらと考えると生きていけなくなります。
そう考えると、この当たり前の環境も当たり前ではないですよね。だからせめて朝を迎えた時、ふとしたときにでも生きていられることに感謝しながら生きていきたいものです。
今日は子供達に拍動を感じ取ってもらいました。
「自分で心臓を動かしている人」と尋ねたら手をあげる子もいましたが、止めてみて、早く動かしてみてと言ったら、困っていました。
そうです。心臓も我々の意識に関係なく、動いてくれているのです。
ちょうど、今日は体育もあったので、急激な運動をした後に拍動を確かめてもらうと、「さっきよりも速くなっている‼️」と自ら感じてくれました。
中には「僕の心臓は動いていない」と言っていた子もいましたが(笑)
生きているという実感を持ってもらえたと思います。
食べ物もそうです。
好きなもの、嫌いなものとあると思いますが、それを知らないまま、生き物が人間の食べ物として命を奪われ、食卓に上がっているのです。
それに気づいて感謝の気持ちを持つことができたなら、美味しくないから食べないということにはつながらないと思います。
食べ物になってくれて有難う。
それがちゃんとわかってくれたら、嫌いなものであっても食べてくれると思います。
いつからか覚えていませんが、何年も前から授業が終わったら有難うございましたと言って、一人一人深くお辞儀をして教室を出て行くようになっていました。
そうすることを教えたことは一度もありません。
ただ、そんな様子を見ていたんでしょうね。いつの間にか、授業後はそう挨拶をすることが受け継がれたのでしょう。
驚いたのは、今日の道徳終了後。
いつもに増して、子供達一人一人が、本当に心を込めた挨拶をしてくれました。
年長児であっても、ちゃんと心に響いてくれているんですね。
決して、自分に有難うを言ってもらいたかったわけではなく、当たり前に思うことにも感謝の気持ちを時々でもいいから、持ってもらいたい。
一度教えるだけではなく、何かの拍子にまた気づかせてあげていきたいものです。